おはようございます!人事部・大部です!!
今日は真面目な大部で行こうかと思います。
人生長く生きていると、「怒ったことがない」という人はそこまでいないですよね?
大半の人が何かしらに怒り、いら立ちを覚えた経験、あるのではないでしょうか!
今日はちょっとした怒りに関しての小話でもしようかと思います。
若い農夫が全身汗まみれで「小舟」を漕いで上流に向かっていました。
彼は上流の村に「自分が作った農作物」を届けようと急いでいました。
その日は暑く「彼は早く帰りたい」と思っています。
前を見ると「急速に別の船」が彼の船に近づいてきます。
この船は彼の船をめがけて「ぶち当たろう」としているかのように見えました。
彼は船を避けようと必死にこぎました。
そして彼は怒り狂って立ち上がり、
「方向を変えろ!この馬鹿ヤロウ!ぶつかるだろう」
と叫びました。
しかし叫んでも無駄でした。
もう一艘の船は彼の船にぶつかりました。
彼はまた叫びました。
「このマヌケ!こんな広い川の真ん中でどうしてぶつかるんだ!」
「どこかおかしいんじゃないのか!」
その時、彼は気づきました。
相手の船には「誰も乗っていなかった」のです。
錨が外れて川に流された「空っぽの船」に向かって彼は叫んでいました。
この若者は「誰も乗っていない船」に向かって叫んでいました。
「怒り」というのは相手に対して感じるものと考えられています。
しかし、実際のところ、怒りの感情の真実は「自分の中」「自分自身」に対して起きている感情なんです!
例えば誰かの行動や言動に「腹を立てる」としたところで状況が変わるのでしょうか?
賢い人ならば、
「相手に対して腹を立てるのは、机が机であることに対しても腹を立てるようなものだ」
というかもしれません。
更にもう一つ小話を!
ある実業家がベトナムに行った時の話です。
ガイドを「地元の僧侶」が務めてくれたそうです。
「様々なテーマについて考えるように」と勧めてくれました。
ある日のテーマは「怒り」でした。
彼は「怒りに任せて自制心を失ったとき」を考えてみようと言いました。
その実業家は「娘がへそピアスをした時」のことを思い出しました。
ピアスが見えるお腹が丸出しの「小さなTシャツ」を着て出かけていたようです。
ピアスを見つけたときに「怒り狂った父親」を演じたようです。
怒りを演じてみて、何を思ったか振り返りました。
振り返ってみると「2つの言葉」が出てきたようです。
1つは
「なんて安っぽい下品な子供だろう、親の顔を見てみたい」
と思われたらどうするんだ。
もう1つは「彼が自分の子供をあんな格好で歩かせるなんて(笑)」
と思われたらどうするんだ。
彼は
「何を気にしていたか」に気づきました。
娘?
自分?
「へそピアスと自分のエゴ」
どちらが大きな問題だったのか・・・
怒りというのは
「誰かではなく自分に向けられたもの」と考えることができるのではないでしょうか!
怒りに身を任せて話そうとしたとき「対処する方法」があります。
それは単純!
対処方法は「鏡を見る」こと!!
いつだってあなたの怒りは
「鏡の前に映っている人」のものだということです!
そして心の中が荒れていたとしても、「決して口を開かない」ということです!
怒りは相手によるものではなく、自分自身の問題
怒りっぽい人は一度深呼吸してみて、状況整理してみましょう。
そのために鏡を見て落ち着くのです。
今自分が怒ることは果たして正当な理由でなのか、そうでないのかを。